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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和36年(ネ)135号 判決 1964年1月30日

控訴人 鈴木盛助

被控訴人 国

国代理人 広木重喜 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、昭和三二年三月二一日牛後二時頃より翌二二日正午頃にかけて原判決添付第一目録記載の被控訴人所有山林四二五町歩が火災により焼燬したことは当事者間に争がない。

二、下記証拠によれば下記事実を認定することができる。

(1)  本件開墾地は串間市大字奴久見字夫婦石四九九番の五三の国管理地を稜線とする高さ約一五〇米の小高い山の西側の中服にあり、右国管理地(巾約五米)の東部は被害山林の山の神国有林で、勾配約二〇度ないし五〇度の傾斜を以て東面している。本件開墾地の南は福島町(現串間市)開拓農業協同組合の採草地を経て約三五〇米の間勾配約一〇度ないし二〇度の傾斜で下降する草地であり、西は約一米ないし一米五〇糎下方で山道に接し、山道の西側には北東から南西にかけ小谷があり、さらにその西側は高台となつている。高台の西には北西から南にかけ鹿児島県境の山があり、この山は南において低くなりきれ目をなしている。さらに本件開墾地の北東側も西又は南西に面した傾斜地である。(原審および当審における検証の結果)

(2)  このような地形からして本件開墾地附近は西風が吹き特に毎年一二月から三月頃までの春先は激しく、午前中は静かでも午後から激しく吹きまくる日もあつた。(当審証人鈴木シツノ、同鈴木乙一、同鈴木正の各証言)本件山火事の出火した昭和三二年三月二一日は午後二時頃から急に風速一〇米ないし一五米の激しい西風が吹き始めた。(成立に争のない甲第四号証の三、四、原審証人小沢富美雄、同中山道義、同橋口妙子の各証言)

(3)  右同日頃本件開墾地附近は相当長期間降雨なく、空気は全く乾燥し切つていた。(成立に争のない甲第九号証の三)、少くとも控訴人の主張する地上焼却のなされる以前は(この焼却のなされた日が同年同月一九日頃であり、焼却が不完全であつたことは後記認定のとおりである。)本件開墾地と山の神国有林(便宜前記国管地を含む。以下同じ。)との間には雑草、雑木が生え、これらの雑草、雑木は三月という季節、右のように乾燥した空気の中にあつて、枯れて火を近付けば容易に燃焼する状況にあつた。(成立に争のない甲第二号証、原審証人加藤数己、同中山荘一郎の各証言)

(4)  本件開墾地は控訴人が被控訴人より昭和二五年頃払下げを受けたものであるが、昭和三二年三月末日までに開墾を完了して県の耕地出張所の成功検査を受けねばならず、もしこの検査に合格しなかつたならば右開墾地は被控訴人に返地しなければならないことになつていたので、控訴人はその開墾を急いでいた。(前顕甲第二号証、同第四号証の三、四)

(5)  控訴人は昭和三二年三月二〇日本件開墾地の開墾作業に従事し、堀起した根株、枝などを焼却するため右開墾地内五ヵ所に溜焼場を設け、そこに根株、枝などを投げ込んで焼却した。(この点当事者間に争がない。)右溜焼場の位置はほぼ原判決焼付第二図面のとおりであつて、溜焼場と山の神国有林との距離は最も近い溜焼場よりは約三〇米、最も遠いそれよりでも約四五米の至近距離にあつた。(原審および当審における検証の結果)

(6)  訴外中山道義は本件開墾地の北東約三〇〇米の位置に夫婦石五一三番地の五〇の開墾地を所有しているが右二〇日午後六時半頃右開墾地よりの帰途、本件開墾地より煙が上つているのを見た。(前顕田第四号証の四、当審における検証の結果)

(7)  翌三月二一日前記のとおり西風が激しくなつた午後二時頃本件開墾地の北方約二二〇米の地点にある父橋口虎義所有の同所四九九番の三七の開墾地で午後より作業をしていた訴外橋口妙子は、その附近で本件開墾地のすぐ上(東)が畳二帖位の広さで燃えているのを発見した。(成立に争のない甲第四号証の一、原審および当審証人橋口妙子の証言、原審および当審における検証の結果。もつとも証人橋口妙子は原審では(イ)午前中から右開墾地で作業していた(ロ)火を発見したのは午後一時過頃であると証言しているが、(イ)は甲第四号証の一、同証人当審における証言と対比して措信できないし、(ロ)は当審証人鈴木正の証言と対比し午後二時頃であつた、と認める。また当審証人橋口妙子、同橋口虎義の各証言、当審における検証の結果によると、同訴外人が四九九番の三七の開墾地に来たのは、父虎義の開墾した跡の草かき、木の根集めを虎義から命ぜられたからであり、しかも虎義が同日午前中開墾作業をしていたのは右開墾地ではなく、本件開墾地の北東方約三〇〇米の地点に所在する訴外和田三男所有の同所同番の四三であつたことが認められるがこの事実をもつてしてもなお右認定を覆えすにたらない。)

(8)  同日午後二時頃本件開墾地の北東方約一五〇米の地点にある同所同番の四八の開墾地で作業していた訴外鈴木正は本件開墾地の上方二坪位が燃えているのを発見し、訴外中山道義は同日午前中前記自己の開墾地で作業をしていた際も本件開墾地で白い煙を見たが、午後二時頃訴外鈴木正より出火を知らされ、その方向を見たところ本件開墾地と山の神国有林一体が燃えているのを認めた。(前顕甲第四号証の三、四、原審証人中山道義原審および当審証人鈴木正、原審および当審における検証の結果)

(9)  火はまず本件開墾地の東にある山の神国有林に燃え移り、途中前記訴外鈴木正の開墾地などを焼燬しつつ、嶺伝いに北東から北に拡がり、次で西方小谷に下降し、一巡して本件開墾地の南に隣接する福島町開拓農業協同組合の採草地である同所四九九番の五七に燃え移つたのは、すでに同日の夕方であつた。(甲第四号証の三、四、原審証人中山利夫、原審および当審証人中山道義、当審証人橋口虎義、同鈴木正、同鈴木乙一、同中山元義の各証言)

(10)  山の神国有林は東方、山麓の道路、田圃を隔てて同じく被害山林である高さ約三〇〇米の嶽権国有林と相対し、その他の被害国有林は右二国有林の北方、あるいは東方、東南方に接して所在するが(成立に争のない甲第七号証、当審における検証の結果)、串間警察署巡査部長小沢富美雄は昭和三二年三月二一日の出火後間もなく本件開墾地の南々西方約一、〇〇〇米の地点まで来たが、そのとき山の神国有林の火の粉が嶽権現国有林に飛んでおり、該国有林も燃えているのを目撃した。(原審証人小沢富美雄の証言)

(11)  右訴外小沢富美雄は翌二二日午前一〇時頃から訴外橋口妙子らを立会せて本件開墾地を実況見分したが、周囲には多量の焼燬した木の枝、葉が散乱し、溜焼場は直径一・五米の円型で、内部に厚さ〇・二米にわたり焼灰をため、周囲に燃え残つた木の根株、木の枝、幹などが残存し、特に原判決添付第二図面の三ないし五の溜焼場には中部心に根株が焼残り、野生の根の根株を中心に木の枝、根株を寄集めて溜焼をした形跡が認められ、尚火気がくすぶつており、各溜焼場には周囲に土を寄せてあつたが、中央部はほとんど灰のみであつたことを認めた。訴外橋口妙子も周囲には土がよせてあつたが、上の方には土がないのを現認した。(成立に争のない甲第一号証の一、原審証人小沢富美雄、同橋口妙子の各証言)

三、以上二の(1) ないし(11)の認定事実に加うるに前顕甲第二号証、同第九号証の三(これら書証中の控訴人の、溜焼の方法、その火の後始末についての自供の記載は、右認定事実、特に(11)の認定事実に徴し十分措信できる。)原審および当審における控訴人本人尋問の結果(ただしいずれも一部)を併せ考えると次の事実が認められる。控訴人は昭和三二年三月二〇日午前九時頃より本件開墾地で開墾作業にかかつたが、掘り起した根株や散乱している枯枝、幹等をほぼ原判決添付第二図面記載の五ヵ所に寄せ集め、マツチで点火して焼却した。而して作業が進むにつれ掘り起された根株、集めた枯枝等を逐次これら溜焼場に投げ込んでいつたが、溜焼場は別段これら根株等を投げ込むための穴を掘つたものではなく、生えたままの木の根株を中心に根株、枯枝等を高き二尺五寸位、広さ直径四尺位に積み重ねて焼却していつたものであつた。控訴人は同日午後六時頃作業をやめて帰宅したが、帰宅に際し同日は無風状態であつたので夜になつても風が出ないと考え、前記のとおり成功検査を間近に控えたあせりもあつて、溜焼場にさらに木の根株などを投げ込み、それらが燃えるようにし、各溜焼場の周囲には乾燥し切つた土を少しばかり掛けただけで右溜焼場の上には土をかぶせずそのまま放置して下山した。その翌日控訴人は午前中現場に出かけず自宅にいたが、溜焼場は煙を上げてまだ焼え続けていたのであつて、午後二時頃折柄起つた激しい西風に火があふられ、まず本件開墾地のすぐ上の原野に飛火してこれを燃やし、次いで山の神国有林に燃え移り、さらに前記のとおり嶺伝いに延焼して行くと同時に、周囲の国有林に飛火し、ついに原判決添付第一目録記載の国有林を焼燬するに至つた。以上の事実が認められる。原審証人坂田実、同鈴木チヅ子、同鈴木チヨ子、同鈴木盛幸、同中山荘一郎、当審証人橋口虎義の各証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、甲第一号証の一、同第二号証、同第九号証の三、原審証人小沢富美雄、同橋口妙子の各証言と対比して措信できない。

四、成立に争のない甲第四号証の二、原審証人中山道義、当審証人中山元義の各証言によると、出火した三月二一日の午後二時過頃すでに訴外鈴木乙一方の上方(本件開墾地西下の小谷)に煙がたちこめていたことが認められるが、火災の際、特に本件開墾地の地形のような場合は折からの強風にあふられ風が廻り煙が上に上らないで横になびいていたものと考えられ(当審証人鈴木乙一、同鈴木正の証言)右事実は必ずしも前記認定を左右するにたるものではない。また控訴人は本件開墾地の隣接地である前記福島町開拓農業協同組合の採草地が出火後二時間余を経て燃え出したことを促え、本件開墾地は出火場所ではないと主張するが、前記認定のとおり火は一巡して最後に右採草地を焼燬したものと考えられ、当初西風が吹いていても、本件開墾地を囲む嶺の反対側から火災によつて風が吹き上げられ風が廻ることも十分考えられ、このように火が一巡することも怪しむにたりないから、右主張は理由がない。さらに控訴人は本件開墾地の北方は畑であり、東方は山の神国有林まで地上焼却されていて可燃物は存在しない、したがつて本件開墾地から右山の神国有林まで飛火することは、物理的にも化学的にも考えられない、と主張する。なるほど原審証人加藤数己、同中山三郎、原審および当審証人松下速、当審証人武田アサ子、同中山道義の各証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果によると、控訴人は昭和三二年三月一九日頃本件開墾地より、山の神国有林の手前二米のあたりまで地上焼却したことが認められるが、前記二の(6) ないし(8) 、(11)の認定事実及び原審証人鈴木正、当審証人長友作郎の証言を総合して考えると右焼却は完全であつたわけでなく、なお可成の木の根、枝、幹、雑草等の未燃焼物が残存していたものであることが認められる。右認定に反する原審証人坂田実、同加藤数己、当審証人中山荘一郎の各証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない。又控訴人は出火場所は夫婦石四九九番の四八の訴外鈴木正所有の開墾地であると主張するが、この事実を認め得る証拠はない。而して他に前記三の認定を覆えすにたる証拠はない。

五、本件火災のあつた昭和三二年三月頃本件開墾地附近が容易に出火の危険性があつたことは前記二の(1) ないし(3) の認定事実、特に地形からして西風をまともに受け、三月頃はそれが最も激しく、当時空気が乾燥し、枯れ切つた雑草、雑木におおわれていた事実に徴し明らかであり、また周囲には大山林が連なり(二の(10))一旦火災となれば甚大な損害を生ずることも明瞭であつた。このようなことは控訴人は地元民として当然熟知していたものと考えられ、したがつて本件開墾地に火を入れるに当つては、火災の生じないよう深甚の注意を要することを、控訴人としては容易に気付いていた筈である。元来地元の福島町開拓農業協同組合では、溜焼は直径三尺位、深さ一尺五、六寸位の穴を掘つてこの中で根株、枝等を焼却するよう指導していた(この事実は原審証人坂田実の証言により認める。)。控訴人としてはこのような指導を受けてなくとも前記状況よりこの程度の配慮は当然なすべきであつた。しかるに現実に控訴人のなしたことは、野生の根株を中心に根株や木の枝、幹等を高さ二尺五寸、広さ直径四尺の円型に積み重ねただけの溜焼場を、山の神国有林との間、三〇米ないし四五米の至近距離に五ヵ所も設けたという、甚だ危険極りないものであつた。また帰宅に際しては、当然これら溜焼場の火を消すか、あるいはそうしなくとも完全に覆土し、火が飛び散らないように注意すべきであるのに、かえつて成功検査を間近に控えたあせりから、根株等を投げ込み夜中燃え続けるようにし、周囲に乾燥した土をわずかばかりかぶせただけで、そのまま放置して下山しているのである。しかも何人にも爾後の見廻りを頼むことなく(控訴人は訴外鈴木乙一に念のため気をつけてくれるよう依頼したと主張するが、そのようなことがなかつたことは、原審証人鈴木乙一の証言により明らかである。)、翌日も本件開墾地を見廻ろうとはしなかつた。このため溜焼場の火は翌二一日も燃え続け、同日午後二時頃急に吹きはじめた西風にあふられてまず本件開墾地のすぐ上の原野に飛び火し、次で山の神国有林に燃え移り、翌二二日正午頃までの間に次々に附近の山林に延焼し、ついに国有林だけでも四二五町歩にも及ぶ山林を焼燬する大火災を生ぜしめたもので、右火災は控訴人の重大なる過失に基くものであるというべきである。

六、控訴人は本件火災につき、控訴人に重大な過失がなかつたことは、串間営林署長が熊本営林局長に宛てた国有林野被害報告書(甲第六号証の一)に「加害者は調査の結果、重大過失による失火と認め難い。」とあることによつて裏付けられると主張しているが、原審および当審証人長友作郎の証言(原審は一回)を総合すると訴外長友作郎は当時串間営林署庶務課長として本件火災の原因調査に当つたが控訴人から溜焼場には周囲に土をかけただけで、上からは土をかぶせていないとの報告を受けていたものの、同訴外人は出火日の三月二一日びろう島に赴き、午前中なぎであつたのに午後帰途急に激しい西風に遇つており、このことが強く印象に残つていたので、本件火災の主因は、午後二時頃から吹き出した西風であり、気候の急変によるものであつて、控訴人が右程度しか覆土しなかつた過失は重大といえないと判断し、その旨串間営林署長に報告した結果、右のような報告書が作成され、提出されたものであることが認められる。当日午後二時頃から西風が激しく吹きはじめ、これが本件火災を助長する大きな原因となつたことはさきに認定したとおりであるが、前記二の(2) で認定したように本件開墾地附近は、この頃は西風が激しく、午前中静かでも午後から激しく吹きまくるというように、気侯の急変する日が長いのであり、控訴人は地元民としてこのことを承知しているのであるから、出火当時の危険極りない前記の四囲の諸条件に照らし、西風が急吹したからといつて控訴人に本件火災について重大な過失がないということはできない。よつて控訴人は被控訴人に対し本件火災により被控訴人のこうむつた損害を賠償すべき義務がある。

七、そこで進んで損害額について考究すると、成立に争のない甲第六号証の一、二、同第一一号証、当審証人斎藤兎起夫の証言によると、保安林整備臨時措置法施行令第五条、同法施行規則第二条は、同法第四条ないし第六条に規定する保安林とするための立竹木の買入、交換、買取に際しての、これら立竹木の評価基準を規定しているが(当裁判所は右評価基準は妥当であると認める。)、熊本営林局においては同局準例規第一七号、同第六号によつて、国有林野並びに公有林野官行造林地の被害額の算定に当つて、右の諸規定を準用しており、被控訴人主張の損害額三八七万六六七円は右規定により正確に算出したものであることが認められる。控訴人は本件被害国有林は保安林ではないのであるから被害額の算定に保安林の評価方式によつたのは適当でないと主張するが、特に保安林ではない通常の国有林の客観的価格の算出については、別個の計算方法をとらねばならない合理的根拠を認め得る資料のない本件にあつては右主張は理由がないというべきである。すなわち被控訴人の損害は金三八七万六六七円と認めるのが相当である。

八、そうだとすると控訴人は被控訴人に対し金三八七万六六七円、およびこれに対する不法行為日の後である、昭和三二年三月二三日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべく、その支払を求める被控訴人の請求は理由があるからこれを認容すべきである。よつて右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は失当であるからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩崎光次 野田栄一 宮瀬洋一)

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